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渡辺 くにたか(訓任) 二宮町 町会議員

二宮町 日本共産党 生活 福祉 教育

山西小学校・二宮西中学校の入学式に参加して思うこと 

 

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 昨日(6日)は、朝、山西小学校、午後は二宮西中学校の入学式にダブルヘッダーで出席させていただきました。 本当に暖かく、また、桜の満開の中で最高の日和だったと思います。
 
 元気な子ども達を見て、今、”戦争立法”を止めなくては、この子たちが大きくなる時に戦争に駆り出されることになると思いました。 安倍首相にとっては、自衛隊は”わが軍”。 アメリカと肩を並べることが夢なのでしょう。 これまで地方をさんざん食い物にしてきていまさら”地方が主役”とは噴飯ものです。 機密保護法+マイナンバー制度の拙速な導入、教科書の記述の大幅な変更など、すべてが一つの方向へ動いているようです。 いっせい地方選挙では、ガツンと言わせなくてはならないと強く感じます。

  先日の卒業式もそうでしたが、昨日も”君が代”は歌えませんでした。頭の中では、「君が代の”君”は、恋する相手のことであって、古今和歌集ほかにもうたわれる大切な人の長寿を祈る歌」で、「君は君主を指すものでは無い。」と理解しようとしていますが、どうも違和感があるのです。
 いろいろ調べてみて、その違和感がなぜか一つ謎が解けました。1999年7月に自民党の当時の野中官房長官が、国会の審議の中で、「戦前の大日本帝国憲法の精神をふまえ、『君が代』の『君』は日本を統治する天皇の意味で用いられ、『君が代』の歌詞も天皇の治める御代が末永く続き栄えるようにという意味に解釈されてきた」と認めたらしいのです。やはり、政治的な意図は歴史的にあったということでした。
明治になって、政府が曲をつけ、「君」とは「君主」つまり天皇の意味だと勝手に決め、「国歌」として国民に押しつけたとすれば、この歌そのものをゆがめてしまったということになるわけで、いろいろなところで、君が代は美しい愛の歌だよとSNSでも言われていますが、あくまでも政治利用されてきたならば、この歌が気の毒。
素直に歌える国歌があればと思うのは私だけでないと思いますが…

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